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あの日あの時 UVCC 17 編 ~いざメキシコへ!~ [あの日あの時]

寅はある問題に直面していた

Snow CollegeからUVCCにトランスファー(転校)する際に

1期(Summer Quarter)しか在籍しなかったのに、

冬の間の3ケ月間を丸々休学したとし、そのままUVCCに移った事が問題になった

この為、一度、日本へ帰国するか、アメリカ国外へ出なくてはならなくなった

今更、日本へオメオメと帰れるか! と、思い

金がない寅が思いついた策はメキシコかカナダのバンクーバーだった

何となく南に行きたいなぁ~と思いメキシコにした

飛行機でサクッと行ければイイのだが、貧乏学生の寅は長距離バスしか

選択肢はなかった

 

寅はルームメイトが心配すると思い、2~3日旅行に行ってくると言い残し

グレイハウンドバスに乗り込んだ

日本のバスとは違い、大きなアメリカ人が乗っても快適な様に座席は

広々として快適だった

南へ向かったバスは、かつてのSnow collegeの近くを通り

懐かしい風景が思い出された

そして、さらに南下すると、Dexy (デキシー)と言う街でトイレ休憩となった

その場所は寅がSnow Collegeで空手の弟子を初めて採用した伊藤 俊と言う男が

綺麗な彼女と転校していった大学がココにあった

彼はまた得意な巨体でフットボールにのめり込んでいるのだろうか?

程なくバスに揺られていると、どこを見ても砂漠地帯で、

1~2時間寝てても、まだ同じ風景だったりもした

そしてついに思い出の街 <Las Vegas>に到着した

辺りもうす暗くなり、ネオンがキラキラと眩しい

最初にこの街へ来たのが19歳の時だったから3年ぶりだろうか?

寅はギャンブルはやらないが、綺麗な都会的な町並みを散策して廻る事が好きだった

砂漠の真ん中を長時間バスに揺られながら来たお陰で、

そのギャップに寅は酔いしれた

全てが今、住んでいる街と違う、、、、、

ホテルで宿の確保をし、バイキング料理を食べて、カジノの様子を見て回り

日中の疲れが出たのか、そのままウトウトと寝てしまった寅であった、、、、

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あの日あの時 UVCC 16 編 ~Dianaとの出逢い~ [あの日あの時]

UVCCの夏季講座もそろそろマンネリして来た頃、

ひとつ下のクラスでレベル3の中国人のリーと言うオバサンの紹介で

Diana(ダイアナ)と言うルームメイトを紹介された

彼女は昔、沖縄で暮らした事があったらしい

そう彼女のお父さんは、軍人だったみたいだ

幼少期を沖縄で過ごしたが、いかんせん軍の中での暮らしなので 日本語は全く出来なかったが

日本に親しみを抱いているらしかった

ひょんな事から寅とダイアナは急接近した

彼女は教育者を目指しているらしく、何かを教える事が好きな娘だった

当時の寅は23歳、一方、ダイアナは19歳

BYUと言う隣町にある大学に通う彼女とは週1回位のペースで逢った

彼女からは生の英語をたくさん学んだ

逢えない時には電話で約1時間程、話し込んだりもした時もあった

よくアメリカ人の彼女が出来ると英語が上達すると言うのは本当だった

寅は持っていたピアノのテープを彼女にプレゼントした

浜田省吾のピアノメロディーだった

曲には日本語の歌詞がなくピアノのメロディだけの曲だったので

意味など分からなくてイイし、優しい曲なのできっと気に入ると思った

案の定、彼女はとても気に入り毎日聴いてくれていたそうな、、、

車の無かった彼女だったが、暇があれば寅のバイクで彼女を後ろに乗せ 街を散策したものだ

その姿をキャンパスの誰かに目撃され、冷やかされたりもした

ある日の独立記念日に、彼女が親戚達の家に寅を招待してくれた

当然、アメリカ人ばかりで、かなり緊張したりもしたが、

それでも皆、良い人ばかりで有意義な時をすごした

ダイアナは寅の事を気使ってか、ピタリと隣にいてくれて色々な説明をしてくれた

<あの山がマウントテンパノガスよ  人が横を向いて寝ている様にみえるでしょう?>

と地元では有名な山を指して寅に説明してくれた

ある日、二人で旅行する事になった

行き先は、寅が昔いた超田舎町のSnow Collegeがあるイフロムだ

以前、見た事のあるモルモンミラクルページェントが開催されるからだ

熱心なモルモン教徒であるダイアナは、寅をモルモン教徒にしたかったみたいだ

寅は車をレンタルして、昔、ホームステイしていたミケルソン宅にお邪魔した

寅はミケルソン一家をダイアナに紹介した

彼女たちは、とても驚いていた

天使の子アンジェラは、しばらく見ない内に、すっかり大きくなっていた

子供の成長はとても早い

寅は、ミケルソンの実家に連れて行き、おばあさんとおじいさんにダイアナを紹介した

おばあさんは、ダイアナにすっかり気に入ってしまい、離そうとしなかった

今夜は、このお婆さんの家に泊まることになっていた

古い家だったが、中々快適に過ごす事が出来た

モルモンミラクルページェントを見終わり、長い長い一本道が果てしなく続く渋滞を尻目に

寅とダイアナはお婆さんの家で体を休めた

翌朝、皆にお礼を言い懐かしいイフロムやメンタイの街を後にした

寅の英語力は確実にレベルアップしていただろう

寅とダイアナは当時、付き合っていた訳ではない

彼女には故郷バージニアに彼氏がいるらしかった

それはそれで構わないが、誰の目から見てもただの仲良しと言うレベルではなく

付き合っているかの様な感じに見られていた事は周知の事実だった

寅は自然に任せようと思った

その後の事は、ご想像にお任せします

ダイアナと知り合い、色々な事を教わったし、英語もかなり上達した

それに留学生同士でつるんでいた時よりも、視野が広がったと思った

実際にアメリカに来てみて生のアメリカを感じた気がした

それに彼女との淡い恋は、今になってみると、とても大切な時間を共に過ごした

青春の1ページとなり寅の胸の中にしまっておける宝物になった

キャンパスに通う留学生の中の日本人男性で、

アメリカ人と付き合ったのは何と寅だけだったらしい、、、、

彼女との思い出を思い出す時、何故だか幸せだな気分になる様な気がする

今どうしているのかな、、、、 daiana.jpg


あの日あの時 UVCC 15 編 ~デニスとの出逢い~ [あの日あの時]

UVCCも夏休みに入ったある日の事、寅はキャンパスで一人の青年と出会った

香港人のDenis (デニス)と言い、とても人懐っこく性格の良い若者だった

何かの拍子に、とても仲良くなり、それでいてとても尊敬出来る人だった

彼はルームメイトを探していた

寅も実はアメリカ人との共同生活は、いささか疲れていた

寅とデニスはルームメイトになる事にした

場所はキャンパスから少し離れるが、一軒家を4人でシェアする形だ

下の部屋をアメリカ人が使い、上二つを寅とデニスでシェアした

バスルームはひとつしかないが、洗面は2ケ所あった

キッチンは中2階にあり皆で使った

6畳一間の部屋だったが、快適だった

この近所には、この様な形で部屋をシェアする一軒家が数多くあり、

寅やデニスと同じ様な形で住んでいる東洋人はたくさんいた

デニスのお姉さんも、すぐ近くに住んでいた

彼女は近くの大学のBYUと言う大きな大学に通っていて、

とても綺麗な女性でいて、そして人懐っこく、愛嬌がある方だった

名前をキャシーと言った

キャシーのルームメイトは、シンガポール人のイーフォンと言い

これまた美人の女性だった

彼女達もアメリカ人達と一軒家をシェアしていた

日本人は決して多くはなかったが、それでもちらほらと近くにいたみたいだ

デニスは週末になるとお姉さんのキャシーを連れて来ては

夕飯を作ってくれたり、遊びに来てくれた

いつも家には誰かが来ていた様な気がする

東洋人であつまる方が言語は違うものの、文化は近いし

考え方も似ているし、何しろ食べ物が美味しい!

いつかの夏のある日、花火大会があるとの事で近くの公園に皆で繰り出す事にした

皆で弁当を食べ、皆で楽しく遊んだ

寅は買ったばかりのバイクで皆をひとりひとり後ろへ乗せて、

あまりスピードを出さずに走ってやると大喜びだった

何だか東洋人の集まりだったのが、ひとつの家族みたいに思えてきた

持参してきたビールやカクテルなどで程よく酔い、

暗くなった夜空に浮かぶ花火の美しさに皆、酔いしれた

そんなある夏休みのひと時を寅は楽しく過ごしていた

日本ではちょうどバブルの真っ只中らしいが、寅には全く関係なかった

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ネコがキャッと、、、、!

先日、我が家にある事件が勃発しました

ある日の夕方、玄関のチャイムがなりました

誰かと思いきや、全然知らない人が立ちすくんでおりました

<あの~ 近所の者ですけどウチで飼っているネコ知りません?>と、、、

<茶色と白が混ざったシャムネコなんですが>

寅はハッと思った

何かどこからかたまにウチの敷地をウロウロしているネコを 何度も目撃しているからだ

<さぁ 分かりませんね~>と、、、

すると飼い主の方は、すごすごと引き下がり暗闇の中を帰って行きました

しばらくすると、またその飼い主が玄関のチャイムを鳴らしました

<ウチのネコの鳴き声がするので来て下さい!>と血相を変えて来られました

どうやら諦めがつかず、暗闇の中を人の家の敷地内をウロウロしていた模様、、、

そのネコの声のする方に寄ってみると、何ともう使われていなかった井戸の中

昔、その井戸に屋根が付けられていたらしく、それも老朽化で落ちていました

誰も暗闇の中を井戸の中を覗こうなんて思いません

さすがに何か出てきそうな予感がしてました

霧も少し出ていました、、、、、

仕方なく覗いてみると、やはりネコの声がします

古い井戸の屋根を引っ剥がしたら、ネコがいました!

どうやら井戸はすっかり枯れていた模様です

しかし、底は見えるけど2mはゆうに深さがありました

最初は忍者みたいに壁に手を足をつっかえ棒の様にしてよじ登ればイイと思いましたが

身の危険を感じて、家にあったハシゴを井戸の中に逆さまにぶち込み

ネコを救出しにミッションを果たそうと潜り込んで行きました

するとその井戸の中は面白い事に防空壕みたいになっており下の所で 三箇所に枝分かれしており、

その中のひとつにネコが、すっかり怯えて見てました

ネコちゃんは、疲れたのか、お腹が空いていたのか抵抗はしませんでした。

ヒョイっと抱えて、心配そうな飼い主の元で手を伸ばし 無事、彼女の元へ引き渡されました!

その時の飼い主の安堵の笑顔と半泣きな顔が忘れられません

ひとつの小さな命が救われた瞬間でした

その飼い主は何度も何度もお礼を言い去って逝かれました

きっと大事に大事に(旦那様よりも、、、)育てられていたのだと推測します

それにしてもあのネコ、、、またやるかも知れないので ハシゴは、そのままにしておきました

後日談ですが、あの枯れた井戸は、実は井戸ではなく

昔、となりの畑で採れたジャガイモを地下で保存しておく 倉庫がわりの場所だった事が判明しました

も、もしかして、そこには金銀財宝が眠っているかも、、、、?!

寅には、まさにあのネコが <ココ掘れニャンニャン>言っている様な気がしないでもない様な、、、、


あの日あの時 UVCC 14 編 ~第二回 SUSHI PARTY~ [あの日あの時]

  • UVCCのFAINAL テストが終了し、この4ケ月間同じクラスだった皆と 打ち上げパーティをする事になった
  •   場所は親友のジョーイの家(アパートを出て家を借りていた)
  • それぞれが持ち込む形で料理を出した 国際色豊かなクラスだったので、色んな料理が振舞われた
  •  中でもひときわ目立っていたのが寅の作る、お寿司だった
  • 今回は、寿司もそうだが飾りの部分にこだわった
  • 普通寿司にはバランと言う竹の葉っぱを細工して寿司桶の中も盛り込まれる
  • それは、竹の葉がしんなりしない内に召し上がれと言う意味だ
  •  賞味期限表示なんて無かった昔の時代には、こう言う意味があったのだ
  • さて時代は変わり、アメリカには竹の葉っぱなんて簡単に手に入るハズもなく
  • 仕方ないので緑色の画用紙を買って、細工を施した
  • 本来、寿司は祝い事や祭りごとの時に作るので、
  • 縁起がイイと言う事で 鶴と亀の細工を施したものを、作ったばかりの寿司に盛り込んだ
  • これは、寅がNYの初花と言う店で習得した技だった
  • 誰にも教わった訳でもなく、一人で本を購入して独学で身に付けた技だ
  • NYの店では日曜日が定休日だった
  • 寅は店の鍵を預かっていたので、一人、休日出勤して練習した
  •  色々なパターンの鶴や、亀の切り抜きを編み出した
  • 多分、あの時にいた板前さんで笹の葉細工の腕前では 寅の右に出るものはいなかったであろう
  • 通常、盛り込みは寿司桶の底に貼り付ける
  •  笹の葉細工がメインの寿司よりも出しゃばっつたりしたら台無しになるからだ
  •  それよりも食べ終わった時に出てくる、笹の葉の細工は お客様の目に新鮮に写り、
  • 店を出る瞬間まで目を楽しませてくれる
  • たった一枚のなんでもない笹の葉が、ちょっと手を加えるだけで芸術品になる
  •  寿司を作り終えた寅が、側にあったカッターと緑の画用紙に細工を施し始めたら
  • 皆が寅の作業に見入っていた
  • きっと折り紙以上の芸術作品を見ている不思議な瞬間であっただろう
  • 出来上がったばかりの鶴の細工を寿司の上に乗せたら拍手喝采だった
  •  一芸を磨く事って、本当に自分の為になるなぁと改めて実感した寅であった
  • 台湾人のクラスメイトも寅に負けず劣らず人気を集めた料理を集めたが
  • 芸術として見た場合、やはり日本の和食の盛り付けには叶わない
  •  皆、かなり抑圧された生活をしていたのか、
  • 出された料理はすぐに無くなり 飲めや歌えや踊れやで会場がハイテンションに、、、、、
  • その後の事は、ご想像におまかせします。。。。

 

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エアロCDの山 [エアロ用CD]

先日、エアロ仲間のKさんから

エアロ用のCDをな、

なんと40枚も お借りする事が出来ました

12月に入ると忙しくなるので 今の内にと思い、忙しくしております

金沢の、あのお方にも恩返ししなくては、、、、

では、皆さんまたエアロでお逢いしましょう


あの日あの時 UVCC 13 免許取得物語 編 [あの日あの時]

話は少し前後しますが、バイクを購入する前に

当たり前だが免許を取得した話をしたいと思います

寅は日本で運転免許を持っておりアメリカへ来る時に

国際免許に切り替えて渡米していた

車の免許は後に取るのだが、まずはバイクの免許を取ろうと思った

普通、日本でバイクの免許を取る場合、

小難しい学科を数時間受けて、実地の練習が始まる

特に750cc(ナナハン)の場合だと試験に受かるのも至難の技で

数十回受けてもダメな人も中にはいたりする

アメリカでの試験は、どんなんのか、、、、

寅がバイクの免許に挑戦したのは、まだUVCCに編入する前で

一人浪人生活を送っていた頃に遡る

アメリカの免許センターでは、持ち込み制で、その変わり

金額の面で凄く安く受けれるのであった

(日本から比べたらタダみないな金額)

当時の寅は免許よりも先に、バイクを取得しており、モグリで練習していた

寅はそれを人から借りたと言う事にし、いそいそと持ち込んだ

教官はガッチリしたマッショな教官で、黒人だった

最初の学科試験では、英語が分からず見かねた教官がピクチャーテストにするか?

と聞いて来たので、それにした

英語だと全然理解出来なかった事が絵での説明で、しかも4択だった

良く外国人の英語が分からない人の為の試験だった

寅にはピクチャーテストは、とても簡単だったし、アッと言う間に終わった

そして実技のテスト。

寅は自分のバイクを押して教官の所へ行った

教官は、早口の英語で行った

時速40キロまで出して、この直線を走り、

目の前の赤信号に切り替わった瞬間にブレーキをかけ

そこから何メートルで止まれるかのテストだった

要するに瞬間の判断力を調べるテストだった

空手で鍛えた動体視力のお陰で一発合格

そして次のテスト

同じ様に時速40キロのスピードで直線を走り

信号が赤になった瞬間にハンドルを右か左に切り、

そこから何メートルで止まれるかを調べるテストだった

これも寅は一発でパス

黒人の試験管は<ヒュー>と口笛を鳴らし

<お前は運動神経は素晴らしいな>と褒めてくれた

寅の記憶に残っているテストはこれだけで、

後は何をやったのかは覚えていない、、、、、、

しかし、それ程、簡単なテストだったと言う事だった

寅は、待合室で1時間程待ち、念願の運転免許証を授与された

この運転免許、アメリカでは非常に意義がある

自分の身分証明書になるからだ

寅の様な外国人はパスポートなんて、いつも持ち歩かない

運転免許は何かあると、すぐに提示を求められる

例えば現金をあまり持ち歩かない寅は

小切手で者を買う訳だが、その時にも提示を求められるし、

ちょっとしたお酒を買う時にも運転免許を出せと言われる

そして、その免許証には各州の特徴が良く現れている

ユタ州の場合はスキーリゾート地なので

スキーをしている画像が運転免許証に印刷してあるのだ

それは各州によって違う

とにかく、寅は自分の持ってきたバイクに跨り

自由への翼を手に入れたのだった


あの日あの時 UVCC 12 自由な翼 編 [あの日あの時]

アメリカはつくずく車社会だと思う

まず車が無ければ生活が成り立たないんじゃないかと、、、、

バスやタクシーもあるにはある、、、

が、日本程、使い勝手が良くない

親から何の援助もない寅は、車を買える程の資金もなく

バスに頼らざるを得ない生活をしていたが、

何かと不自由をしていた

友人のジョーイの行為で彼の車に乗せて頂いてたりもしたが、

そう毎回毎回では彼に対して悪い

そんな時、キャンパスの廊下でフト目にした張り紙を目にした

ちょうどガフェテリアの所だった

その張り紙には

HONDA BIKE FOR SALE !!!

と、あった

ホンダのバイクを売りたいとの広告だった

個人的にバイクを売りた奴が出した広告な様子だった

値段も手頃だし日本製のホンダだし

足が無かった寅にとっては凄く魅力的に映った

車を買える程裕福では無かったけれど、バイクなら

貯金を切り崩しても何とかなりそうだったので

ある日の午後、電話で売主を呼び出し交渉した

売主のアメリカ人は友人と2人でやっていた

私の拙い英語を受け入れてくれ、とても親切に説明してくれた

バイクと言えども保険に加入しなければいけない事も教わった

寅はそのバイクを試乗させて貰った

軽くアクセルを捻っただけなのに、

<ブオッーっ>と前に進んで行く位、勢いを感じた

寅は一発で気に入った!

まるで寅の性格そのままな感じのバイクだったからだ

そして交渉成立

彼はおまけにメットもタダで付けてくれた

彼と役所に行き名義変更も終了した

寅は、自由な翼を手にした様な感じだった

今まで時間を気にし、バスの到着を寒い中待ち続けた、あの日から

寅は行きたい所に行きたい時に自由に行ける様になった

今まではバスの固定された路線からしか見えなかった景色が

ガラッと変わり新しい発見が次々と現れた

オシャレなカフェや映画館、ショッピングセンターなど、

背中に羽が生えた様な気がした

それにアメリカはヘルメットを被る法律はないので

基本的にはノーヘルでバイクを飛ばしたので風が気持ちイイ

車の様にあまり荷物を運べないが、それでも何とかなるさ

寅はキャンパスのクラスが終わると、自慢のバイクで街をくまなく

走り回っていたのであった

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あの日あの時 UVCC 11 寿司パーティー 編 [あの日あの時]

UVCCへ転校(編入)して来て、大分、当初の硬さが取れ

すっかり周りの環境にも慣れて来た所だった

クラスとの仲間ともすっかり打ち解けた感じであった

そんな中、料理が上手な寅を知っているジョーイが提案した

<寿司パーティーをやろう!>

Snow Collegeでも一度、やったがイイネタが無かったので

それなりに考えてやったが、今回はソルトレイクシティの寿司屋さんに

ネタを買い付けに行く話にまでなった

一度、話が決まれば早い

会場も友達の家を借り、寅は早めに仕込みの準備をした

ネタを切り分け、後は握って盛り込むだけの状態になるまで2時間近く経過した

顔なじみの生徒達が目を丸くして寅の握る姿を見ている

寅は昔NYの初花で鍛えた腕を披露した

<ホーッ>

っと声が漏れる

ただの空白な空間の中に綺麗に盛り込まれる寿司

それは自分で言うのも恥ずかしいが、単なる食べ物ではなく

<芸術品>であった

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ココら辺が寿司が芸術作品と言われる所以と言われる

ただの普通の学生と思っていた方達は

寅のこの技術を見て、腰を抜かしただろう

多分、明日からは寅を見る目が違って来るだろう

3時間かけて用意した自慢の寿司は

<アッ>と言う間になくなった

遠いアメリカ生活で、たどたどしい自炊で食いつないで来た学生達は

まさかアメリカで寿司を食べれるなんて夢にも思わなかったと言う

しかし、寿司を作る技術を持っている学生なんて、そう多くはいないだろう

その後の寅は多くの学生達からひっぱりダコで、

この時の話題で寅の事は伝説になった事は言う間でもあるまいIMG_0001.jpg

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会社の飲み会

皆さん、久しぶりです

色々な事が重なってブログ更新出来ませんでした

昨日は会社の飲み会があり参加して参りました

寅はまたしても幹事を任され、てんやわんやでした。。。

しかし、どうして寅はいつの時も幹事になってしまうのか、、、、?

とても不思議です

高校時代、応援団長をしていた寅は、全校生徒約1000人を動かして来たからかな?

誰か分かる方は教えて下さい

場所は、いつも良く行くトレジャーパイレーツ ココは安心して皆を呼べます

斎藤店長には、いつも良くして頂いて 会社まで送り迎えの送迎まで付けて頂きました

いつもの週末より人は多かったかな?

店は大繁盛していました

やはり年配の方は、店構えを見ただけで敬遠してしまいがちだとおっしゃっていましたが、

比較的若い方には、とても新鮮だった様で 普通の焼肉屋さんとは又違う感覚だったらしく、目をクリクリさせておりました

カクテルも常時100種類を超え、それも好評の様でした

寅は、食べましたね~

焼肉の盛り合わせ

キムチ各種

ビビンバ

冷麺

予定時間の2時間では物足りない感じでした

二次会は向かいにあるラーメン屋さんで、 軽く餃子とビールで軽く盛り上がり お開きとさせて頂きました

嫁に迎えを頼みに来てくれたのですが、ウサギのミミちゃんと一緒に来ていて

一瞬で皆のアイドルになりましたね~

恐るべしアイドルウサギ 胃薬を飲み、ベットにダイブした寅でした


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