あの日あの時 ~SC25 教会での出来事 編~ [あの日あの時]
ある日の日曜日、いつもの様に家族で教会へ行った
そうすると何故だか寅だけが一人、教会に残された
皆、何処かへ消えていってしまった様だ
仕方なく教会の後ろの席で英語の勉強がてらに聖書を観ていると
どこかで見覚えのある人達が壇上に上がっていた
<アッ!>
何と壇上に上がっていたのは、ミケルソン家族だった!
しかも、あの小さいアンジェラまで、、、、!
当時の寅は英語がまだ出来なかったので、
どうなっているんやら、さっぱり分からなかった
しかし耳を凝らして聞いていると、どうやら寅の事を話しているみたいだった
話しの大筋はこうだ
ある日の午後、平和な一日を過ごしていると
異国の地からやってきた英語の話せない男性がやって来た
彼曰く、<英語の勉強がしたいから、しばらくの間ステイさせてくれ>と
そして、ウチの家に辿り着くまでに20件以上の家庭を訪問したが
すべて断られて来たと、、、、、、
私達一家は悩みに悩みました
彼が変な人だったら平和な家族がズタズタになるのではないかと、、、、
しかしモルモン教の教えは基本的に
<困っている人がいたら救ってあげなさい>だった
私達は彼の事を信じる事にしました
そして、決め手になったのが、まだ年端の行かないアンジェラだった
子供は理屈ではなく本能で人を見分ける事が出来るので
大人の今までの経験値で人を判断するのではなく、
子供の純粋な目を通して、私達は彼の事を受け入れようと判断しました
私達は自分の子供の事を信じようと決めたのです
そして彼を通じて私達は変わりました
外国語をマスターする為に、あらゆる努力を惜しまず
彼の自分の人生を切り開いて行こうとする真摯な性格に私達は何かを感じました
そして彼は自分の親を一切頼らずに、全て自分のお金でやっていると聞き
私の子供達にも、<彼の様な生き様を見習って欲しく思いました>
ある日、彼は自分の時間を削り、私達の為に祖国の代表的な料理をふるまってくれました
確か<お寿司>と言う国を代表する食べ物でしたが、
あいにく私達の口には合いませんでした
しかし、見た目の美しさに心を奪われました
普段、マックのハンバーガーを食べて成長した私達は、
味はともかく手のかかった食べ物である事は容易に想像出来ました
そして、それを作る職人さんは、尊敬に値するものだと言う事を感じました
私達は彼の受け入れを一瞬でも悩んだ事を恥じました
私達にとって彼を受け入れた事で、良き方向に変わって来れた事
例えば彼の祖国、ジャパンと言う国では、家に上がる時に上履きを脱いで入ります
私達アメリカ人は、そのまま何の躊躇もせずに汚れた靴でソファに座ります
これは恥ずかしい事です
私は自分の子供達を躾ける時、彼の様になってもらいたいと思いました
ただ靴を脱ぐのではなく、ちゃんと外の方へ揃えておく事も彼に教わりました
ある日、家から10キロも離れている大学へ、彼を車で迎えに行くのが遅れた時がありました
彼は諦めてテクテクと家の方へ向かって歩いていたそうです
10キロの距離を歩く人なんて、この街にはどこにもいません
結局、汗だくになって歩いている彼を親戚の一人が見つけ家まで送り届けたそうですが
彼は私達に向かって一切の文句も言いませんでした
<誰にだって忙しくてどうしようもない時がある。仕方がない>と彼は言いました
約束を破ってしまって非は完全に私達にあるのですが、彼のその潔い振る舞いで
私達はたくさん反省する機会を貰いました
彼は更に言った
<こんなどこの国から来たかもわからない私を受け入れてくれただけで嬉しいんだ>と、
私達の長男は今、ミッショナリーで遠くにいますが、
彼はそんな長男の代役を見事に果たしてくれています
まだまだ英語の習得には時間がかかると思いますが、
夜遅くまで起きて勉強している所や、寝ている間もラジオを付けっ放しにして
耳を英語に慣れさせようとする必死な姿を、私達は知っています
私達は彼を通じて<ジャパン>と言う国がどんなに素晴らしいかを知る事が出来ました
そして私達アメリカ人は、彼の国の良い所をドンドン学ぶべきだと思います
私達が忘れかけていた開拓時代のアメリカンスピリットを彼から感じるべきだと思います
彼女の目からは涙があふれていました
壇上にはミケルソン家族が横一列に並んでいました
そして、その母の熱い演説が終わるやいなや、とても大きな拍手が鳴りやみませんでした
キョトンとハトが豆鉄砲をくらった様な顔をしている寅の方をチラホラ向いて
拍手をしてくれる人が何人かいました
この以外な家族の仕打ち(!)に、寅は完全にやられました、、、、、
壇上から家族が寅に向かってウインクしてました
<今日のサプライズは如何でしたかな?>と聞こえた様な気がしました
寅は後日、日本語のペラペラな大学の友達から教会であった全ての事を通訳してももらい
やっと理解出来たのでありました
しかし、やられましたねぇ
翌日の地元の新聞に、その時の事が掲載された様子でした
久しぶりのコメントです。
日本人の悪いところに旅の恥はかき捨てという言葉がありますが
寅さんはそれとは逆で手本になっていたんですね。
たとえちっちゃなことでもそこから日本人の姿が海外に示せるのですから
留学生だから勉強だけでなく小さな親善大使として行かないと意味がないと思います。
僕も未だにお世話なった家族より連絡をいただけてますが、
僕も寅さんのように後悔のないアメリカ生活をおくっていた証として
今でも大切にしております。
by hide (2013-05-19 15:45)
アメリカの人の豊かさを感じる一文ですね、社会に対して自分たちに何ができるのか?を考えている、日本人にもいると思いますが、自分も含めまだまだ、そういった心境にある人は少ないと思います。
寅さんは、つくづく良い経験をされましたね、でも、それも寅さんの本質から来ていることなのでしょうね。
続き、お願いします。
by yamaです (2013-05-22 16:57)
暖かいコメントありがとうございます
毎日、必死に生きていたので
気が付いたら周りの人達に知らず知らずの内に
影響を与えていたみたいですね。。。
でも一生懸命って<命を懸ける>と言う事ですよね
何でも、そんな気持ちを持ってやってみようと思います
by tora (2013-05-22 19:49)