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あの日あの時 UVCC 17 編 ~いざメキシコへ!~ [あの日あの時]

寅はある問題に直面していた

Snow CollegeからUVCCにトランスファー(転校)する際に

1期(Summer Quarter)しか在籍しなかったのに、

冬の間の3ケ月間を丸々休学したとし、そのままUVCCに移った事が問題になった

この為、一度、日本へ帰国するか、アメリカ国外へ出なくてはならなくなった

今更、日本へオメオメと帰れるか! と、思い

金がない寅が思いついた策はメキシコかカナダのバンクーバーだった

何となく南に行きたいなぁ~と思いメキシコにした

飛行機でサクッと行ければイイのだが、貧乏学生の寅は長距離バスしか

選択肢はなかった

 

寅はルームメイトが心配すると思い、2~3日旅行に行ってくると言い残し

グレイハウンドバスに乗り込んだ

日本のバスとは違い、大きなアメリカ人が乗っても快適な様に座席は

広々として快適だった

南へ向かったバスは、かつてのSnow collegeの近くを通り

懐かしい風景が思い出された

そして、さらに南下すると、Dexy (デキシー)と言う街でトイレ休憩となった

その場所は寅がSnow Collegeで空手の弟子を初めて採用した伊藤 俊と言う男が

綺麗な彼女と転校していった大学がココにあった

彼はまた得意な巨体でフットボールにのめり込んでいるのだろうか?

程なくバスに揺られていると、どこを見ても砂漠地帯で、

1~2時間寝てても、まだ同じ風景だったりもした

そしてついに思い出の街 <Las Vegas>に到着した

辺りもうす暗くなり、ネオンがキラキラと眩しい

最初にこの街へ来たのが19歳の時だったから3年ぶりだろうか?

寅はギャンブルはやらないが、綺麗な都会的な町並みを散策して廻る事が好きだった

砂漠の真ん中を長時間バスに揺られながら来たお陰で、

そのギャップに寅は酔いしれた

全てが今、住んでいる街と違う、、、、、

ホテルで宿の確保をし、バイキング料理を食べて、カジノの様子を見て回り

日中の疲れが出たのか、そのままウトウトと寝てしまった寅であった、、、、

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あの日あの時 UVCC 16 編 ~Dianaとの出逢い~ [あの日あの時]

UVCCの夏季講座もそろそろマンネリして来た頃、

ひとつ下のクラスでレベル3の中国人のリーと言うオバサンの紹介で

Diana(ダイアナ)と言うルームメイトを紹介された

彼女は昔、沖縄で暮らした事があったらしい

そう彼女のお父さんは、軍人だったみたいだ

幼少期を沖縄で過ごしたが、いかんせん軍の中での暮らしなので 日本語は全く出来なかったが

日本に親しみを抱いているらしかった

ひょんな事から寅とダイアナは急接近した

彼女は教育者を目指しているらしく、何かを教える事が好きな娘だった

当時の寅は23歳、一方、ダイアナは19歳

BYUと言う隣町にある大学に通う彼女とは週1回位のペースで逢った

彼女からは生の英語をたくさん学んだ

逢えない時には電話で約1時間程、話し込んだりもした時もあった

よくアメリカ人の彼女が出来ると英語が上達すると言うのは本当だった

寅は持っていたピアノのテープを彼女にプレゼントした

浜田省吾のピアノメロディーだった

曲には日本語の歌詞がなくピアノのメロディだけの曲だったので

意味など分からなくてイイし、優しい曲なのできっと気に入ると思った

案の定、彼女はとても気に入り毎日聴いてくれていたそうな、、、

車の無かった彼女だったが、暇があれば寅のバイクで彼女を後ろに乗せ 街を散策したものだ

その姿をキャンパスの誰かに目撃され、冷やかされたりもした

ある日の独立記念日に、彼女が親戚達の家に寅を招待してくれた

当然、アメリカ人ばかりで、かなり緊張したりもしたが、

それでも皆、良い人ばかりで有意義な時をすごした

ダイアナは寅の事を気使ってか、ピタリと隣にいてくれて色々な説明をしてくれた

<あの山がマウントテンパノガスよ  人が横を向いて寝ている様にみえるでしょう?>

と地元では有名な山を指して寅に説明してくれた

ある日、二人で旅行する事になった

行き先は、寅が昔いた超田舎町のSnow Collegeがあるイフロムだ

以前、見た事のあるモルモンミラクルページェントが開催されるからだ

熱心なモルモン教徒であるダイアナは、寅をモルモン教徒にしたかったみたいだ

寅は車をレンタルして、昔、ホームステイしていたミケルソン宅にお邪魔した

寅はミケルソン一家をダイアナに紹介した

彼女たちは、とても驚いていた

天使の子アンジェラは、しばらく見ない内に、すっかり大きくなっていた

子供の成長はとても早い

寅は、ミケルソンの実家に連れて行き、おばあさんとおじいさんにダイアナを紹介した

おばあさんは、ダイアナにすっかり気に入ってしまい、離そうとしなかった

今夜は、このお婆さんの家に泊まることになっていた

古い家だったが、中々快適に過ごす事が出来た

モルモンミラクルページェントを見終わり、長い長い一本道が果てしなく続く渋滞を尻目に

寅とダイアナはお婆さんの家で体を休めた

翌朝、皆にお礼を言い懐かしいイフロムやメンタイの街を後にした

寅の英語力は確実にレベルアップしていただろう

寅とダイアナは当時、付き合っていた訳ではない

彼女には故郷バージニアに彼氏がいるらしかった

それはそれで構わないが、誰の目から見てもただの仲良しと言うレベルではなく

付き合っているかの様な感じに見られていた事は周知の事実だった

寅は自然に任せようと思った

その後の事は、ご想像にお任せします

ダイアナと知り合い、色々な事を教わったし、英語もかなり上達した

それに留学生同士でつるんでいた時よりも、視野が広がったと思った

実際にアメリカに来てみて生のアメリカを感じた気がした

それに彼女との淡い恋は、今になってみると、とても大切な時間を共に過ごした

青春の1ページとなり寅の胸の中にしまっておける宝物になった

キャンパスに通う留学生の中の日本人男性で、

アメリカ人と付き合ったのは何と寅だけだったらしい、、、、

彼女との思い出を思い出す時、何故だか幸せだな気分になる様な気がする

今どうしているのかな、、、、 daiana.jpg


あの日あの時 UVCC 15 編 ~デニスとの出逢い~ [あの日あの時]

UVCCも夏休みに入ったある日の事、寅はキャンパスで一人の青年と出会った

香港人のDenis (デニス)と言い、とても人懐っこく性格の良い若者だった

何かの拍子に、とても仲良くなり、それでいてとても尊敬出来る人だった

彼はルームメイトを探していた

寅も実はアメリカ人との共同生活は、いささか疲れていた

寅とデニスはルームメイトになる事にした

場所はキャンパスから少し離れるが、一軒家を4人でシェアする形だ

下の部屋をアメリカ人が使い、上二つを寅とデニスでシェアした

バスルームはひとつしかないが、洗面は2ケ所あった

キッチンは中2階にあり皆で使った

6畳一間の部屋だったが、快適だった

この近所には、この様な形で部屋をシェアする一軒家が数多くあり、

寅やデニスと同じ様な形で住んでいる東洋人はたくさんいた

デニスのお姉さんも、すぐ近くに住んでいた

彼女は近くの大学のBYUと言う大きな大学に通っていて、

とても綺麗な女性でいて、そして人懐っこく、愛嬌がある方だった

名前をキャシーと言った

キャシーのルームメイトは、シンガポール人のイーフォンと言い

これまた美人の女性だった

彼女達もアメリカ人達と一軒家をシェアしていた

日本人は決して多くはなかったが、それでもちらほらと近くにいたみたいだ

デニスは週末になるとお姉さんのキャシーを連れて来ては

夕飯を作ってくれたり、遊びに来てくれた

いつも家には誰かが来ていた様な気がする

東洋人であつまる方が言語は違うものの、文化は近いし

考え方も似ているし、何しろ食べ物が美味しい!

いつかの夏のある日、花火大会があるとの事で近くの公園に皆で繰り出す事にした

皆で弁当を食べ、皆で楽しく遊んだ

寅は買ったばかりのバイクで皆をひとりひとり後ろへ乗せて、

あまりスピードを出さずに走ってやると大喜びだった

何だか東洋人の集まりだったのが、ひとつの家族みたいに思えてきた

持参してきたビールやカクテルなどで程よく酔い、

暗くなった夜空に浮かぶ花火の美しさに皆、酔いしれた

そんなある夏休みのひと時を寅は楽しく過ごしていた

日本ではちょうどバブルの真っ只中らしいが、寅には全く関係なかった

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あの日あの時 UVCC 14 編 ~第二回 SUSHI PARTY~ [あの日あの時]

  • UVCCのFAINAL テストが終了し、この4ケ月間同じクラスだった皆と 打ち上げパーティをする事になった
  •   場所は親友のジョーイの家(アパートを出て家を借りていた)
  • それぞれが持ち込む形で料理を出した 国際色豊かなクラスだったので、色んな料理が振舞われた
  •  中でもひときわ目立っていたのが寅の作る、お寿司だった
  • 今回は、寿司もそうだが飾りの部分にこだわった
  • 普通寿司にはバランと言う竹の葉っぱを細工して寿司桶の中も盛り込まれる
  • それは、竹の葉がしんなりしない内に召し上がれと言う意味だ
  •  賞味期限表示なんて無かった昔の時代には、こう言う意味があったのだ
  • さて時代は変わり、アメリカには竹の葉っぱなんて簡単に手に入るハズもなく
  • 仕方ないので緑色の画用紙を買って、細工を施した
  • 本来、寿司は祝い事や祭りごとの時に作るので、
  • 縁起がイイと言う事で 鶴と亀の細工を施したものを、作ったばかりの寿司に盛り込んだ
  • これは、寅がNYの初花と言う店で習得した技だった
  • 誰にも教わった訳でもなく、一人で本を購入して独学で身に付けた技だ
  • NYの店では日曜日が定休日だった
  • 寅は店の鍵を預かっていたので、一人、休日出勤して練習した
  •  色々なパターンの鶴や、亀の切り抜きを編み出した
  • 多分、あの時にいた板前さんで笹の葉細工の腕前では 寅の右に出るものはいなかったであろう
  • 通常、盛り込みは寿司桶の底に貼り付ける
  •  笹の葉細工がメインの寿司よりも出しゃばっつたりしたら台無しになるからだ
  •  それよりも食べ終わった時に出てくる、笹の葉の細工は お客様の目に新鮮に写り、
  • 店を出る瞬間まで目を楽しませてくれる
  • たった一枚のなんでもない笹の葉が、ちょっと手を加えるだけで芸術品になる
  •  寿司を作り終えた寅が、側にあったカッターと緑の画用紙に細工を施し始めたら
  • 皆が寅の作業に見入っていた
  • きっと折り紙以上の芸術作品を見ている不思議な瞬間であっただろう
  • 出来上がったばかりの鶴の細工を寿司の上に乗せたら拍手喝采だった
  •  一芸を磨く事って、本当に自分の為になるなぁと改めて実感した寅であった
  • 台湾人のクラスメイトも寅に負けず劣らず人気を集めた料理を集めたが
  • 芸術として見た場合、やはり日本の和食の盛り付けには叶わない
  •  皆、かなり抑圧された生活をしていたのか、
  • 出された料理はすぐに無くなり 飲めや歌えや踊れやで会場がハイテンションに、、、、、
  • その後の事は、ご想像におまかせします。。。。

 

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あの日あの時 UVCC 13 免許取得物語 編 [あの日あの時]

話は少し前後しますが、バイクを購入する前に

当たり前だが免許を取得した話をしたいと思います

寅は日本で運転免許を持っておりアメリカへ来る時に

国際免許に切り替えて渡米していた

車の免許は後に取るのだが、まずはバイクの免許を取ろうと思った

普通、日本でバイクの免許を取る場合、

小難しい学科を数時間受けて、実地の練習が始まる

特に750cc(ナナハン)の場合だと試験に受かるのも至難の技で

数十回受けてもダメな人も中にはいたりする

アメリカでの試験は、どんなんのか、、、、

寅がバイクの免許に挑戦したのは、まだUVCCに編入する前で

一人浪人生活を送っていた頃に遡る

アメリカの免許センターでは、持ち込み制で、その変わり

金額の面で凄く安く受けれるのであった

(日本から比べたらタダみないな金額)

当時の寅は免許よりも先に、バイクを取得しており、モグリで練習していた

寅はそれを人から借りたと言う事にし、いそいそと持ち込んだ

教官はガッチリしたマッショな教官で、黒人だった

最初の学科試験では、英語が分からず見かねた教官がピクチャーテストにするか?

と聞いて来たので、それにした

英語だと全然理解出来なかった事が絵での説明で、しかも4択だった

良く外国人の英語が分からない人の為の試験だった

寅にはピクチャーテストは、とても簡単だったし、アッと言う間に終わった

そして実技のテスト。

寅は自分のバイクを押して教官の所へ行った

教官は、早口の英語で行った

時速40キロまで出して、この直線を走り、

目の前の赤信号に切り替わった瞬間にブレーキをかけ

そこから何メートルで止まれるかのテストだった

要するに瞬間の判断力を調べるテストだった

空手で鍛えた動体視力のお陰で一発合格

そして次のテスト

同じ様に時速40キロのスピードで直線を走り

信号が赤になった瞬間にハンドルを右か左に切り、

そこから何メートルで止まれるかを調べるテストだった

これも寅は一発でパス

黒人の試験管は<ヒュー>と口笛を鳴らし

<お前は運動神経は素晴らしいな>と褒めてくれた

寅の記憶に残っているテストはこれだけで、

後は何をやったのかは覚えていない、、、、、、

しかし、それ程、簡単なテストだったと言う事だった

寅は、待合室で1時間程待ち、念願の運転免許証を授与された

この運転免許、アメリカでは非常に意義がある

自分の身分証明書になるからだ

寅の様な外国人はパスポートなんて、いつも持ち歩かない

運転免許は何かあると、すぐに提示を求められる

例えば現金をあまり持ち歩かない寅は

小切手で者を買う訳だが、その時にも提示を求められるし、

ちょっとしたお酒を買う時にも運転免許を出せと言われる

そして、その免許証には各州の特徴が良く現れている

ユタ州の場合はスキーリゾート地なので

スキーをしている画像が運転免許証に印刷してあるのだ

それは各州によって違う

とにかく、寅は自分の持ってきたバイクに跨り

自由への翼を手に入れたのだった


あの日あの時 UVCC 12 自由な翼 編 [あの日あの時]

アメリカはつくずく車社会だと思う

まず車が無ければ生活が成り立たないんじゃないかと、、、、

バスやタクシーもあるにはある、、、

が、日本程、使い勝手が良くない

親から何の援助もない寅は、車を買える程の資金もなく

バスに頼らざるを得ない生活をしていたが、

何かと不自由をしていた

友人のジョーイの行為で彼の車に乗せて頂いてたりもしたが、

そう毎回毎回では彼に対して悪い

そんな時、キャンパスの廊下でフト目にした張り紙を目にした

ちょうどガフェテリアの所だった

その張り紙には

HONDA BIKE FOR SALE !!!

と、あった

ホンダのバイクを売りたいとの広告だった

個人的にバイクを売りた奴が出した広告な様子だった

値段も手頃だし日本製のホンダだし

足が無かった寅にとっては凄く魅力的に映った

車を買える程裕福では無かったけれど、バイクなら

貯金を切り崩しても何とかなりそうだったので

ある日の午後、電話で売主を呼び出し交渉した

売主のアメリカ人は友人と2人でやっていた

私の拙い英語を受け入れてくれ、とても親切に説明してくれた

バイクと言えども保険に加入しなければいけない事も教わった

寅はそのバイクを試乗させて貰った

軽くアクセルを捻っただけなのに、

<ブオッーっ>と前に進んで行く位、勢いを感じた

寅は一発で気に入った!

まるで寅の性格そのままな感じのバイクだったからだ

そして交渉成立

彼はおまけにメットもタダで付けてくれた

彼と役所に行き名義変更も終了した

寅は、自由な翼を手にした様な感じだった

今まで時間を気にし、バスの到着を寒い中待ち続けた、あの日から

寅は行きたい所に行きたい時に自由に行ける様になった

今まではバスの固定された路線からしか見えなかった景色が

ガラッと変わり新しい発見が次々と現れた

オシャレなカフェや映画館、ショッピングセンターなど、

背中に羽が生えた様な気がした

それにアメリカはヘルメットを被る法律はないので

基本的にはノーヘルでバイクを飛ばしたので風が気持ちイイ

車の様にあまり荷物を運べないが、それでも何とかなるさ

寅はキャンパスのクラスが終わると、自慢のバイクで街をくまなく

走り回っていたのであった

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あの日あの時 UVCC 11 寿司パーティー 編 [あの日あの時]

UVCCへ転校(編入)して来て、大分、当初の硬さが取れ

すっかり周りの環境にも慣れて来た所だった

クラスとの仲間ともすっかり打ち解けた感じであった

そんな中、料理が上手な寅を知っているジョーイが提案した

<寿司パーティーをやろう!>

Snow Collegeでも一度、やったがイイネタが無かったので

それなりに考えてやったが、今回はソルトレイクシティの寿司屋さんに

ネタを買い付けに行く話にまでなった

一度、話が決まれば早い

会場も友達の家を借り、寅は早めに仕込みの準備をした

ネタを切り分け、後は握って盛り込むだけの状態になるまで2時間近く経過した

顔なじみの生徒達が目を丸くして寅の握る姿を見ている

寅は昔NYの初花で鍛えた腕を披露した

<ホーッ>

っと声が漏れる

ただの空白な空間の中に綺麗に盛り込まれる寿司

それは自分で言うのも恥ずかしいが、単なる食べ物ではなく

<芸術品>であった

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ココら辺が寿司が芸術作品と言われる所以と言われる

ただの普通の学生と思っていた方達は

寅のこの技術を見て、腰を抜かしただろう

多分、明日からは寅を見る目が違って来るだろう

3時間かけて用意した自慢の寿司は

<アッ>と言う間になくなった

遠いアメリカ生活で、たどたどしい自炊で食いつないで来た学生達は

まさかアメリカで寿司を食べれるなんて夢にも思わなかったと言う

しかし、寿司を作る技術を持っている学生なんて、そう多くはいないだろう

その後の寅は多くの学生達からひっぱりダコで、

この時の話題で寅の事は伝説になった事は言う間でもあるまいIMG_0001.jpg

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あの日あの時 UVCC 10  金持ち留学生2 編 [あの日あの時]

アメリカでキャンパスライフを送っていると

色々な留学生達に時として出くわす事がある

まず日本人留学生達は平均レベルの家庭でも留学をさせて貰えるが

その他の留学生達は家庭が裕福じゃないと来れない人が多い

そして裕福さが際立っている方達も良くいた

一件すると普通の留学生なのだが、、、、

なんでも中東イスラム圏のサウジアラビアで

父が財務大臣やっていて私は国を代表して来ています、、、、とか

台湾人の女性で、

私の父は台湾政府の大臣をやっています

<お金はすべて父が払ってくれます>、、、、とか

シンガポールから来た方は、

父が実業家で成功した方で、大富豪の一族の子孫の方で

<大都市にいると遊ぶと思われたので田舎の学校に入れられた>と

言い放っては、ベンツに乗って通学している方とか、、、、

そして日本人では、有名人タレントの2世達や

場所柄かスキー関係者の子供達がいたりなんかもした

寅とは全てにおいて違う環境の中で生きていた

まず生活に苦労する事はないので、良く遊んでいた

良く遊ぶので友達は多くいて、勉強は、その友達の力を借りてしていた

小さい頃からの英才教育(!)の影響からか、英語はソツなく話せるみたいだが

地味で目立たない作業は死ぬ程嫌いなそうであった

例えば英単語を覚える時のスペルとか、正しい発音を発声出来るまでの努力が

彼らには、人生とは、その瞬間瞬間を楽しく過ごせればイイのだ、、、、

決して、面白く厳しい事があってはいけないのだった

彼らはあまりガツガツした所がないので、人には優しく接する為、

必然的に周りに人が集まってくる

しかし、苦労をしていない分、言葉に重みがない

ただ楽しい事だけを求めて来る人は、飽きるとすぐに去って行くのであった


日本では先人が、こう言う言葉を残した

<若い頃の苦労は買ってでもしろ>、、、と、

寅は好むと好まざる状況の中で明日を生きるのに必死だった

恵まれた環境を与えられた人は、それでイイかも知れないが、

寅は羨ましいとは思わず、逆に親に感謝した

<自分の好きな事をさせて貰えるだけでイイ>


寅は、そうやって一日一日を必死で生きていくのであった


あの日あの時 UVCC 09 金持ち留学生 編 [あの日あの時]

UVCCでの生活はSNOW COLLEDEでの生活と比べて快適だった

街の構造体が明らかに違う

ショッピングモールや映画館(1ドルムービー)、

レンタルビデオ屋さん、スポーツ用品店、

そして気の効いたオシャレな店など、、、、

田舎暮らしも、それなりにイイけどある程度、

街じゃなければキャンパスライフは豊かにならない

寅達はキャンパスライフが終わると、街に繰り出した

台湾人のジョーイの車に乗せてもらい、色んな所に行った

よく二人でメシに行ったり、映画を見たり、楽しく過ごした

彼は台湾人の裕福な家庭に生まれ、英語もその当時寅から見れば

それなりに上手かったので、寅は助かっていた

週末になるとジョーイの部屋で、ちょっとしたパーティが開催される

彼の友達やクラスメイトなんかも読んで楽しく過ごした

彼は交友関係も広かった為、いろんな友達がすぐに出来た

ボーリング大会なんかも国別で行ったり、まさにキャンパスライフを謳歌していた

やはり同じ東洋人なので気合う

文化や言葉は違うけれども、底辺の部分では兄と弟の様な感じだった

しかし決定的に違うのは、こちらは全て自費でやっているのに対して

ジョーイは全て親に頼っている所だ

ジョーイに限らず、ほとんど全ての留学生は親に頼りきっていた

寅はジョーイにはなるべく頼らない方向性で接しようと思った

彼の存在は、あまりにも便利すぎて、それではいけないと考えた

何かして貰ったらメシを作ってやる事で恩返しした

親しき仲にも礼節ありだ

あまりにもべったりだった彼に対して、ある一定の距離をおこうと決めた

彼は彼、寅は寅

お互いに生きて来たバックグランドが違うし、目標も違う

寅はジョーイのお金の使い方について疑問に思っていた

日本の留学生でもお金を切り詰めようとシンプルに生活する事をしているのに

彼はお金を湯水の様に使い、楽しく皆を喜ばせようとすぐ散財し

何かにつけて親に仕送りをせがんでいた

自分の力だけで汗を流し、身に付けた技術でお金を得る事の尊さを

当時の彼に解いた所で、何の意味もなかった

自分の力で稼ぐ術を持たない彼は、自然と親を頼り切る甘えの構造から抜け出せないだろうと

キャンパスライフを送っていると、彼、ジョーイの様な者に出会う事が多かった

と言うか、寅の生きてきたバッウグランドが違うのだろう

そんな金持ちなアホ留学生達とは、違う路線で進み始めた寅であった

 

 

 

 


あの日あの時 ~ UVCC 08 極真同好会2 編~ [あの日あの時]

極真同好会の初日を迎え、皆で楽しく初稽古、、、、

となるハズだったのだが、他流派の稽古ならイザ知らず

極真の稽古は厳しさが違う

寅は日本やNYでやっていた事を、そのままの感覚でやった

突きを各30本、蹴り各30本、捌きの練習、型の練習、

そしてスパーリング(組手)と言う具合だ

しかし、皆、予備知識ゼロで、明るく楽しいノリでやって来た方達は

基本練習の時点で目がウツロになっていた

寅にしてみれば、これが当たり前で、それでも大分、軽めの稽古にしたつもりだった

まともに付いてきたのは、スペイン人のジョルディとSさんだけ

後は、歯をくいしばって必死に食いついてきた

何とかスパーリングまでこぎつけ、寅とジョルディの2人だけで組手をやった

極真スペイン支部で茶帯(1級)までやっていたジョルディは

足技が80%で、前蹴りから横蹴りに変化させながらの蹴りは捌くのが難しく

最初の内は、数発、腹部に貰ったが、そこは黒帯の意地で何とか持ちこたえ

その変わりに綺麗な足払いで彼を転倒させ、彼の意識が下にいったと見るや

下段のローキックに行くと見せかけて得意の上段回し蹴りを彼の綺麗な顔面に

<ピシっ>と言う音と共にお見舞いしてやった

崩れ落ちる彼と比例するかの様に、こだまする歓声

こう言うのは最初が肝心だ

実力の差を示しておかなければならない

しかし技とコンビネーションを使って組手をしたのは久しぶりだった

それだけジョルディの技が素晴らしかったのだろう

フットボーラーの力だけで押してくる奴らとは明らかに違う

足技だけに頼る彼の組手には限界があり、手技を磨けば足技も生きてくると

彼にアドバイスした

そう言う寅も昔は足技中心の組手だった

しかし日本で引越し屋の仕事をしてから腕力に自信が付き手技が冴えた


周りで正座して見ていた参加者達は、寅の事をまじまじと見ていた

今までは、普通のおとなしい人としか見ていたなかったのだろう

皆の目にキラキラと星が浮かんでいる様子が手に取る様に分かる

それからは寅の事を<先生>とか<師匠>とか呼ぶ様になった

寅は恥ずかしいので、普通に呼んでくれと言っても無駄だった

そして次回の極真同好会は半分に人が減ってしまった

それでもイイと寅は思っていた

極真空手が手を抜いて楽しいだけの稽古になってしまったら先輩達に申し訳ない

稽古は、相変わらず日本と同じ様に2時間位かけてやった

皆、顔を歪めながら食らいついてきた

稽古が終わってから、カフェテリアで皆と食事をしながら会話するのが楽しみだった


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