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あの日あの時 ~ UVCC 07  極真同好会 編~ [あの日あの時]

比較的、国際色豊かになった新クラスは、とても新鮮に映った

あのSNOW COLLEDEでの日本人99%のクラスとは大違いだ

新しいクラスにも日本人はいるが、それでも5人位だった

ひとり日本人の女性でSさんと言う人がいた

その方は九州の鹿児島出身で日本では何と

<JAPAN ACTION CLUB>でお仕事をされていたとの事

一通りの格闘技は出来るそうなので空手はどうかと聞いた所

やはり極真をされていたそうです

JAPAN ACTION CLUBの創始は千葉真一で彼もまた若き日に

極真会にいた事は知っていた寅であった

彼女は空手に加え、剣道や合気道などもやっていたらしく知識が豊富だった

今度、多目的ホールを利用して極真空手のクラスを始めようと言う話になった

寅が中心になり、Sさん、スペイン人のジョルディが脇を固め、

後は参加したい人を自由に募ると言う感じで始めようと、、、、

大学の学部からは、日本で極真をやっていたと言うYさんも参加したいとの事

しかし、新しいキャンパスライフが始まったばかりだと言うのに

極真つながりで色んな人脈が増えた事には寅も驚きを隠せなかった

そうそう、同じクラスメイトの台湾人ジョーイの友達で香港人のTくんも参加した

彼はテッコンドーの有段者で背は低いが物凄いジャンプ力で寅が目を剥いた

そして、記念すべき第1回目の極真の稽古が始まろうとしていた

参加人数は約15名

実に国際色豊かな生徒達だった

アメリカ人の方もどこから聞きつけたのか後ろの方で参加していた

寅は生徒達から月謝を貰う訳ではなく、本当に有志を募り

好きな人達があつまる同好会と言う用な形でスタートした

そして、運命の初日を迎える事となった、、、、、、


IMG.jpg

      極真空手同好会 初期メンバー 


あの日あの時 ~ UVCC 06 新クラス 編~ [あの日あの時]

UVCCでの再出発は色んな意味で新鮮だった

SNOW COLLEGEにそのまま在籍しても、それなりに楽しく過ごせたと思うが

寅には新しい環境で再出発をする方が数倍も嬉しかった

さて、新しいアドバンスのクラスに配属された寅であったが

クラスメイトの顔ぶれを見ていると、実に国際色豊かな事に気が付いた

フランス人

スペイン人

ボリビア人

台湾人

中国人

バングラディシュ人

ベトナム人

などなど

日本人はそれでも一番多かった

寅が望んでいたクラスはこう言う国際色豊かなクラスであった

先日、知り合ったばかりの台湾人のジョーイとは、とても仲の良い弟みたいに感じた

これから約3ケ月間、その仲間たちと一緒にやっていく事になった

そして、一人のスペイン人に注目した

彼の名はジョーディ

いつも物静かでメガネを掛けていて知的な彼は

何と地元スペインで極真カラテの茶帯(2級)まで取得していた猛者だと知る

一見して、格闘技などと言う野蛮な競技とは無縁な彼の様子からは想像出来ない

近寄り難かったジョーディに極真カラテの話題を振ると、盛り上がってしまい

今度、一緒に体育館を借りて稽古をしようと言う話になった

そして寅の新天地UVCCでの暮らしぶりは、孤独な3ケ月間を経て、

楽しく充実していく様な期待感で満ち溢れていた

 

 

 

 


あの日あの時 ~ UVCC 05 入学試験 編~ [あの日あの時]

ユタ州に来て初めての冬が来た

空はどんよりと淀んでいる

ひとりぼっちのクリスマスを過ごし、

強烈なホームシックを経験した寅は、心に大きな穴が開いてしまった

そして何もなく味気ない正月を迎え、1月3日からは大学が始まる

日本では考えられない事だが、アメリカの大学は正月の3日からクラスが始まる

寅は久しぶりのキャンパスライフを、こんなに楽しく思った事はなかった

粉雪の舞い散る中、クラスの振り分けテストが行われた

SNOW COLLEGEの時は、何気なく受けたテストでやられた振り分けテストだった

この点数次第では、またビギナーのクラスに入れられてしまう!

教授達は何も語らないが、重要なテストである事は寅には分かっていた

約3ケ月にも及ぶ、孤独な勉強で苦手とする文法を日本からテキストを送って貰い

徹底的にやったので以前よりは多少は自信があった

ボキャブラリーも死ぬ程やった

映画館の中で暗闇の中で殴り書きをした実践的な英語を覚えた

そして、辞書を1ページずつ破いては、その日の内に覚えようと頑張った

試験の結果は、アドバンスのクラスだった!

つまりは、一番上のクラスに入れたのだ

SNOWにいた日本の予備校生が1年かかってアドバンスのクラスに入った事を思えば

寅は3ケ月で彼等と同等となった瞬間だった

そして、その時に一緒に受けた台湾から来ている男と知り合いになった

彼の名は<ジョーイ> 

男前でスラリとしており、金持ちだった

何と彼も寅と同じアパートに住んでおり、急激に親しくなった

車を持っている彼は、寅と良く遊んだ

彼は寅の事を兄の様に慕った

弟のいない寅は、彼を弟の様に思った

UVCCでのキャンパスライフは、彼との歴史と言っても過言ではなかった

 

 


あの日あの時 ~ UVCC 04  新しいルームメイト 編~ [あの日あの時]

寅の住んでいたCrestwood Apt(クレストウッド アパートメント)は

4人部屋で、それぞれに6畳程の部屋がある

寅が入った頃はすでに2人が入っており、もう一部屋が空いていた

そこに新人のルームメイトがやってきた

名前をJade(ジェード)クンと言う

IMG.jpg

彼はやはりモルモン教の信者で遠くシアトルから来たらしい

来年の1月からBYUの大学に通うみたいだ

それまでの間は働いて学費を貯めるらしい

とにかく寅のすぐ横の部屋で、バスルームとトイレは一緒にシェアする事になった

ちなみにバスルームとトイレはふたつずつあり、2人で使用する事になっている

他の2人のルームメイトは、すでに大学を卒業しており社会人だったので

あまり顔を合わせる事もなかった

朝は早くからいなくなり、夜も遅く、たまに顔を合わせても挨拶程度で、

もう一人のなんか、帰ってくるのが1ケ月に2~3度程度だったので

形ばかりのルームメイトだった

本当の意味でのルームメイトは寅にとってJade君だけだったので良く一緒に遊んだ

彼はモルモン教の信者だったが、ジャックモルモンと言い、酒は良くのみ

タバコを吸い、彼女を作り、良くアパートに連れて来た

彼の真っ赤なスポーツカーは、ツーシーターで、かなりカッコいい

彼は、60年代のアメリカンヤンキーの様だった

映画<グリース>の中にいる不良の代表みたいだったが、

とても優しく、気が利いて、女性にモテるのも分かった

ある日、<彼女が出来た>と言い、今度、ココに遊びに来るから手伝ってくれと言われ

二人で彼の部屋を綺麗にした

最後に、彼の一番のお気に入りの香水を部屋にシュッと撒いた時には、思わず笑った

その彼女の名前はステーシーと言い、かなりの美人だった!

寅に対しても愛嬌が良く、すぐに友達になった

少し強面のJadeクンは彼女が来ると、いつもシュンとしてしまい萎縮しているので

その姿をからかうと、すぐに笑いながら絡んでくる

彼女には頭が上がらない様子がありありだった

よっぽど惚れ込んでいるのだろう


秋風が冷たくなって来た頃、彼女のウチに遊びに来ないかと誘われ行ってみた

凄い大きな家で庭には大きなトランポリンがあった

アメリカの田舎の家には、トランポリンが置いてある家が多い

Jade君はうまく宙で回転出来るが、寅は頭から落ちて心配された

子供の頃からやっている奴には敵わない

stasy01.jpg

ステーシーの家の年の離れた妹達も可愛かった

やはり姉に似て別嬪さんになりそうな予感がする

IMG_0002.jpg

やがて、クリスマスシーズンになると皆、ざわめきたった

日本の正月と同じでルームメイト達は、それぞれの大切な時間を家族で過ごす為に

それぞれの地方へと帰省して行った

部屋にはポツンと寅一人だった

その時のクリスマスは、身を切られる様な寂しさだった

まだイフロムにいた方が寂しさを紛らわせる事が出来たであろうが、

ここProvoでは、寅はひとりぼっちだった

そんな時、シアトルにで過ごしているはずのJadeから電話があった

当時、携帯などなかったのでアパートの電話が鳴った

<やぁ メリークリスマス! どう過ごしているかい?>

<うん 一人でTVを観ているよ>

<寂しくさせてゴメンな! 帰ったらまた遊ぼうぜ!>

と、いつもより元気な声の彼だった

しかし、あの時程、寂しく辛く、身を切られる様な感覚を覚えたのは

後にも先にも無かった寅であった

自分の向かっている方向が良いのか悪いのかフラフラしている状況だったので

尚更、そう感じたのかも知れない

結局、彼等ルームメイトは、元旦を過ぎて、ようやく戻ってきた

日本の元旦をアメリカで迎えたのはイイが、あまりにも何もない正月だったので

とってもつまんなかった

日本では、おせちを食って、紅白観て、お雑煮に初詣、それにコタツでゴロゴロしながら

ゆっくりTVを観ていられるのに、、、、、、、

それに年賀状も届かない。

寅は精神的にかなり追い詰められていて、もう一歩の所で気が狂いそうになるのを

必死でこらえた

いずれ、この時の辛さは人間を成長させてくれる糧となるだろうと信じて

 


あの日あの時 ~ UVCC 03  MOVIE 8 編~ [あの日あの時]

当時、寅が住んでいたクレストウッドアパートの近くには

ショッピングモールがあり、大きな映画館も横にあった

アメリカのショッピングモールはスケールが大きく

駐車場に占めるスペースが日本の想像をはるかに凌ぐ

そこの映画館は3ケ月遅れの映画館だった

ん?どう言う事かと言うと

新作で上映されている普通の映画とは違い

3ケ月遅れてやってくる映画を、それぞれ違う映画を8本まとめて観れる所だった

そして料金も新作なら15ドル位するのが、そこでは一本1ドルで観れる!

新作と言う所にこだわらなければ一本一ドルは、とても格安だった

そして庶民の方達は、ダラームービーと言い、週末ともなると

一大娯楽施設に早変わりする

寅は、BYUでの勉強を終えると、わざとバスの路線を変更し、モールを経由して

家に帰る方法に切り替えた

一日一本、映画を見て英語の勉強をする為だ

さすがに週末は人でいっぱいなので平日に集中して観る様にした

平日の映画館はガラガラで、ほとんど貸切な様子だった

自分が一番イイ席を選び、ゆったりと映画を鑑賞する。

しかもたった一ドルでだ!

アメリカの映画館は日本の映画館と比べ席がゆったりしている

体型の違いだろうか、リクライニング席で足も悠々伸ばせる

そして隣同士の距離がキチキチではなく、割と間隔を空けて作られているので

あまり腕がぶつかりあう事もない

映画館でジュースを頼むときポップコーンとコークが定番だが、

間違ってラージサイズを頼もうもんなら、バケツ位の大きさの奴が渡されるので注意だ

裏ワザは一度入ってしまったら、何本でも観れると言う所だ!

映画の終了時間と別な映画の始まる時間があまりなければ、一度出てチケットを

買わなくてもイイのである!

寅は、その裏ワザで一日3本を、たった一ドルで観た事もある

映画を観る時は、小さなメモ用紙とポールペンを持参する

映画のセリフでイイのがあれば、殴り書きで記録する

それをアパートの同僚の奴らに質問してみる

寅はこうして英語の感覚を磨いていった

だから、その当時の上映されていた映画は殆ど観た事になる

自分の自己流で学ぶ英語の他に、映画から生の英語を学んでいった

こんな映画館を日本にも出来る日はいつになるのだろうか、、、、


あの日あの時 ~ UVCC 03 キャンパス浪人 編~ [あの日あの時]

この街で生きて行くには、まず足を確保する事だと思った

と言っても車を購入出来るだけの資金もなく

当面、Provo(プロボ)市内をくまなく走るバスに頼るしかなかった

そしてバスの走る経路や時間を頭に叩き込む事が必要であった

寅は一度、新しい大学へ資料を貰いに行く為に出向く必要があった

ショッピングモールで一度乗り換えて、何とか大学へ着いた

大学の名は 

Utah Valley Community College

CampusVisits.gif

僕達はユタバレーと呼んだりUVCCとも呼んだりしていた

この大学はOrem(オーレム)と言う隣町にあり、2年制の小さな大学だ

BYUの姉妹校みたいな感じだった

UVCCはスノーカレッジとは違い、何か近代的な感じがした

キャンパスの建物の中には世界中の国旗が釣り下がっていた

寅はインターナショナルオフィスに出向いた

つたない英語で話をしたのだが、書類の提出が間に合わなかったので

今季の編入は無理だと言う

Snow は一年を4期で区切っているクオーター制だが

UVCCは3期で区切っている為、タイミングが合わないのだった

一瞬、目の前が真っ暗になったが、頭を切り替えてみた

この3ケ月間を勉強に専念しようと

寅の最大の弱点は文法だと言う事が分かった今、文法を徹底的に鍛えようと思った

思えばSnowの同期の彼等は、日本の予備校で1年位学んでから来ているので

話すスピーキングの能力には劣るが、文法や語彙力は抜群だった

寅にも、そう言う時間は必要だと感じていた

と言っても予備校に通うだけの予算がないので、全て自分の独力でやる事にした

朝、起きてからBYUの図書館に通い、日本から持ち込んだ文法の参考書を暗記した

一冊の参考書をボロボロになるまで読み込んだ

また何冊かは日本から送って貰った

そして語彙力を付けるために、英和辞典を毎日1ページずつ暗記した

Snowにいた時とは違い、孤独との戦いが続いた

すべて自費でやっている為、時間が惜しかった

夜はアメリカ人のルームメイトとの会話で話す力を付けていった

キャンパス浪人みたいだった為、友達もあまりいなく、本当に孤独さを感じた

でも、長い人生、こんな時期があってもイイのかなとも思った

http://www.uvu.edu/futurestudents/

現在はUVUとなり4年制となっていました


あの日あの時 ~ UVCC 02 新しい生活 編~ [あの日あの時]

Provoと言う街は、いわばモルモン教の聖地だと言う事に気がついた

さしずめイスラム教ならメッカと言った所だろうか

そのモルモン教の中心が<Bringum Young University>と言う大学だった

ブリンガムヤング大学と言い、人々は<BYU>と言う愛称で呼び合う

それは実は人の名前でブリンガムヤングと言う人がモルモン教の創始者だと言う

世界各国からモルモン教の信者は、ココを目指してやってくる

先日、アパートを決めた寅は、まず生活必需品を探さなければならなかった

生きていく為に必要な最低限の物を得る為だ

しかし現実的な問題に直面する

<車>がない事だった

ここProvoの街は、以前住んでいたイフロムやメンタイなどとは違いかなり都会だ(笑)

ソルトレイクシティは大都会だった

まず大型ショッピングセンターがあちこちにあるし、24時間空いている店が

いっぱいあるし、映画館もたくさんあった

激しい程のド田舎で暮らしていたせいか、普通の街であるProvoの街が都会に見える

しかも決まったばかりのアパートは、屋根付きの駐車場が無料で使え、

コインランドリーも数十台完備され、小さいけれどジムはあり、サウナもあり

ビーチバレーコートも2面あり、BBQコーナーもあり、卓球台も数台あり、

生活のレベルが雲泥の差があった

しかも、もう少し贅沢(!)なアパートは、これにプールが付き、

MTVなどのケーブルTVが家賃の中に含まれ、オシャレな外観で、

雨の日でも入れるインナー型のリゾートタイプのプールがあり

アパートの住人は基本的に24時間使用出来る

日本では考えられない生活環境である

あまり贅沢など出来ない寅は、ほどほどの所で妥協した

しかし、車だけはいかんせん手が出ない

あまり安い車を購入すると、修理代で新車が買えてしまうからだ

それに、あまり英語の出来ない人が車を購入しようとすると足元を見られるからだ

しばらくの間、バスで移動する事にした

まずは生きる為にお米を買い出しに出かけた

日本食品を扱う某ショップへ向かって10キロの米を購入

抱きかかえる様にして歩き、アパートへ戻ろうとすると、見知らぬ若者が車から声を

掛けてくるではないか?

その若者は<送って行くから乗りな?>と、、、、、

<へっ?>

若い女性のナンパなら、あり得そうな話だが、、、、、

こんな異国の外国人なんか捕まえてどうしようとするのか不思議だった

とりあえずイイ人そうなので乗ると

<どこのアパートだ?>と聞くので

<Crestwood Apartment>だと言うと

<あぁ あそこか>と車を走らせた

車だとものの10分もしない内にアパートに着いた

彼は爽やかな笑顔と共に走り去って行った

モルモン教の教えは<困っている人を救いなさい>だと言う事を思い出した

思わぬ展開に、この街が少しだけ好きになった寅であった


あの日あの時 ~ UVCC 01 新天地 編~ [あの日あの時]

Snow Collegeを後にして寅が向かった先はProvoと言う街だった

引越に付き合ってくれたのは空手の一番弟子のS君と、その別嬪の彼女だった

Provoに着くと同時に言われた

<寅さん、僕と最後に一番稽古を付けて下さい>と

あぁイイよ

近くにあった公民館を借り彼と最後の稽古を付けた

いつもより厳し目に稽古を付け、最後の組手になった

彼も強くなっていたが、それでもまだまだ甘い所が多々あった

彼の鳩尾に強烈な前蹴りをぶち込み、彼を悶絶させた

周りでバスケをやっていたアメリカ人達は興味津々と言う感じで見ていた

大男をやっつける光景は、余程鮮やかだったに違いない

S君は5分程、のた打ち回ったが根がスポーツマンな彼は

<今日は本気で勝つつもりで行きましたが、やはり無理でした>

と、爽やかに笑った

<彼女を守りたかったら、もっと強くなれよ!>

<俺で良かったらいつでも相手になる>

と言って最後は握手して別れた

余談になるが、彼との出来事はこれが最後になってしまった

今頃どうしているのか、、、、、

さて、一人Provo(プロボ)の街に残された寅がやるべきことは住処を探す事だった

出来るだけ日本食の食糧を扱う店の近くにしたかった

テクテク歩いていると、丘の上に看板が見えた

<Crestwood > と言うアパートが立ち並んでいた

日本のアパートとは違い、2階建ての横に長いアパートが数多く並んでいた

それは小さなコミュニティーな様な感じだった

管理人に中を物色させて貰った

ひとつの部屋に4つ6畳の小さな部屋があり、誰かとシェアする様な感じだった

中央に大きなリビングがあり、入口には共有のキッチンがあった

バスルームが2つとトイレが2つずつ

値段も手ごろだったので、寅は時間も無かったのでココに決めた

管理人はあまり英語の出来ない寅の為に面倒見のイイ人をルームメイトに選んでくれた

そこは4人部屋だが寅を入れても一部屋空いていた

概ね大学が近いので学生達のアパートなのだが、

社会人も以外に多く、寅のルームメイトは2人共社会人だった

アホな学生達よりも落ち着いた社会人の方が寅には合うと管理人は思った様子だ

とにもかくにも新しく部屋も決まり少し落ち着いた

ベットは最初から付いてたので身を横たえて眠ると、そのまま深い眠りに落ちていた寅であった


あの日あの時 ~SC28 SCの思い出 編~ [あの日あの時]

SNOW COLLEDEに来てから早4ケ月の間が経過した

日本が梅雨のシーズンに突入した頃、アメリカは初夏が訪れていた

そして、あんなに熱かった夏が嘘の様に秋風が冷たく感じられた

この4ケ月間、本当に色々な事を経験した

日本にいたら4ケ月なんて<アッ>と言う間に過ぎ去ってしまう時間が

アメリカでは時間がゆっくり過ぎるので自分を見つめ直す事が出来た

特に週末などは車のない人にとっては目の前にある膨大な時間を処理する事が

どれだけ苦痛だったであろうか?

娯楽施設は殆どないこの街は、それとは対照的に自然だけは無尽蔵にあった

この自然の遊びを、どう取り入れるかで思い出の結果が違ってくる

考えてみると娯楽施設なんて、所詮、人間の作ったもの

大自然の前には人間なんて、本当にちっぽけでありながらも

予測不能な展開は、娯楽施設の域を遥かに超える

やはり人間は太陽の光とマイナスイオンに包まれて生きていく事こそが自然なんだなと

ここSNOW COLEGEでの暮らしで大いに学んだ事であった

梅雨のない快適さ

太陽の恵み

ロッキー山脈から濾過されて流れて来た、美味しい水

森林から生み出される、美味しい空気

田舎街特有の人の良さ

時間と言う大きな川の流れに身を委ねられる事


良く考えてみると、都会の娯楽施設より

寅は遥かに贅沢なひとときを経験したのかも知れない


そして寅はこの短い期間に数々の<伝説>を作り上げた

★メンタイ市に一人で自転車で行った事

★自分の力だけでホストファミリーを見つけ出した事

★現役アメフトの選手を叩きのめした事

★誰よりも最初にアメリカ人の彼女を作った事

★留学生の中で日本の伝統食<寿司>を作った事

★<空手>を教えられた唯一の人として

★初めて発足された日本語クラスの上級レベルの教員として採用された事

寅がこの4ケ月で作り上げた<実績>は、当時のスノーカレッジにいた人間達が

口ぐちにこう言った


<彼は生きる伝説だ>


今までココまでの生徒はいなかった様で、

背中で生き様を語れる男として皆の良い見本になっていた様だった

振り返ってみると、寂しさからか

日本人同士のカップルが異常に増えていた

寅はもちろん日本人女性からモテた方だが、

アメリカまで来て日本人と付き合う事なんて露ほども思っていなかった

しかし日本人を含め多くの友達との方達との人間関係を築きあげて来られた

今を生きる事に必死だった寅だったが、この4ケ月を振り返ってみると

本当に実りの多い時を過ごせた事に気付いた


しかし、いつまでも思い出に浸ってばかりはいられない

寅は新天地Provo(プロボ)の街を目指してSnow Collegeを後にした

新しい船出は、これまた前途多難な事が待ち受けていたとは露知らずに、、、、


あの日あの時 ~SC27 思わぬ刺客 編~ [あの日あの時]

ある日の事,大学から帰宅すると大声が家の二階から聞こえてきた

良く見ると母と娘さんが口論している

娘さんは、中学2年生のジルで下から3番目の娘

ジルが大声で叫ぶ声の単語に寅の名前があった、、、、、!

<!>

ん?自分の事か?

と思い恐る恐る聞いていると、、、、、

何やら寅が原因で揉めているみたいだった!

ジルは母に泣きながら訴えかけていた

母は娘を大声で叱る様に言いつけていた

寅はショックだった

まさか寅が原因で揉めているとは、、、、

確かに寅は一番下のアンジェラや、そのすぐ上のサラとばかり遊んでいた

ジルのお姉さんのシンディーは、もう大学生で自分の事で忙しい

まだ中学生のジルは中学生で思春期の一番難しい年頃。

彼女は赤い髪の毛を気にしていて容姿も、、、、だった

彼女も寅と距離を置いていたのか、寅も彼女とあまり打ち明けた感じではなかった

ジルは寅に対してストレスを感じていたのかも知れない

寅が東洋人で、英語も満足に会話出来ず、突然の来訪で家族だけのひとときを壊され

自分のペースが掴めず、自分だけ置いていかれた感じが観ていて取れた

そのイライラを母親にぶつけていたのだろう

でも、寅は知ってしまった、、、、、、

<自分は、この家族に必要とされていないんだ>

<家族の一人だけでも寅の事を良し思わない人がいたら、この家を去ろう>

寅は初めてホストファミリーが家族の一員と認めてくれた夜、一人そう誓った

寅は日本人があまりにも多いこの大学の事を悩んでいた最中だった

その日の夜、ある一つの決意が生まれた

<この街を出よう!>

大学を転校(トランスファー)して、また一からやり直そう!

そう誓った

家族の一人にでも疎まれていると感じたら、それは家族の一員ではない

そして、また新たな新天地で自分の人生を切り開いて行こうと思った

次の日、ホストの父と母を呼び、こう言った

<来月から大学を変えようと思うんだ、今までありがとうございました>

以前から大学には日本人が多すぎて勉強にならないと話していたので

ホストの両親は残念そうだったが、寅の意見を尊重してくれた

アンジェラには言わないでくれとも言った

言ったら最後、泣いて泣いて泣きわめくのは目に見えていたからだ

彼女だけには告げず、そっと知らない内にいなくなろう、、、、

そう寅は決めた

両親も後の事は任せろと言った

来たばっかりの頃は、カバン2つで来たのが、今ではダンボール箱7つ位にまで増えてしまった

バレない様にガレージにしまっておいた

学期がファイナルテストを終え、キャンパスの芝生を裸足で歩いていると

偶然中国人のサラにバッタリ逢った


芝生の上に座り込み、今までの事を全て話した

<来月から、この街を去る事にしたんだ。 今までありがとう!>

すると彼女の目からは大粒の涙が流れ落ちた

<あなたはキャンパスにいる大勢の日本人達とは違う!>

<ちゃんと自分の意思を持ち、親に頼らず、自分の人生を切り開いて行こうとしてる>

<そう言う人を引き留めたりしたくないし、あなたの事を私は誇りに思う>

<でも、とても残念だけど、、、、あなたと過ごした楽しかった日々は私の宝物よ>

<私はあなたが好き! そしてこれからもずっと!>

<たまには戻って来てね?>

寅は返事をする代わりに彼女を力を込めて抱き寄せて言った

< I am Proud of You >


後で分かった話だが、ボートで一緒だったサラに想いを寄せている

日本人のH君に告白されたが、彼女に袖にされたらしく

その後、サラは誰とも付き合わず、ずっとシングルだったらしい、、、、

寅は、あの明るくてチャーミングなサラの事だから

誰かと付き合っているものだとばかり思っていた


彼女と別れ、日本語教師に寅を採用してくれた人に挨拶をしに行った

<実は大学をトランスファーするので来季からの日本語教師の件は辞退します>

彼女は驚きを隠せずにいた様だったが

<分かりました。 あなたに次いで2番目の彼にお願いするわ>

彼女は理解が早かった


そして空手の一番弟子のS君の所に挨拶しに行った

大きな身体は変わらなかったが、声も大きかった

<本当ですか~~っ?>

彼の日本人の彼女が、その声の大きさにビックリしていた

彼女は同じ大学生で、とても別嬪さんでS君が猛アタックして付き合い始めたらしい

<寅さん、、、、、実は僕達も転校するんです>

<えっ? どこに>


<DEXY COLLEGE デキシーカレッジです>

寅の行くプロボの方向とは真逆の方だった

<そうか、、、頑張れよ!>

<ハイっ! たまには稽古付けて頂いてヨロシイですか?>

<OK 強くなって彼女を守れなくちゃダメだぞ?>

大柄なS君が綺麗な彼女の方を向いて小さくなった

彼女は天使の様な笑顔で彼に微笑んでいた

<寅さん、引越の際には僕のオンボロ車ですが、送らせて頂きます>

<そうか、、、、その時は頼む>

そう言って寅は、ソコを離れた

しかし、わずか4ケ月とは言え、数多くの思い出があり過ぎた

数多くの思い出を色々思い出しながら一歩一歩芝生を踏みしめる様にして歩くのだった


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